物語は、大学で物理学の研究職に就く「私」(久堂充利)のもとに、7年前に別れた元恋人・中原沙也加からかかってきた一本の電話によって動き出します。沙也加は結婚して幼い娘を持つ母親となっていましたが、家庭内で深刻な悩みを抱えていました。それは「自分の幼少期の記憶が完全に欠落していること」と、それゆえに「自分の実の娘を心から愛せない」という底知れぬ恐怖でした。
沙也加の亡き父が遺品として遺した謎の鍵と、長野県・御前崎の山奥を示す手描き風の間取り図。自分自身の正体と過去を取り戻すため、沙也加は「私」に同行を依頼します。森の奥深くにひっそりと佇むその洋館に足を踏み入れた2人を待っていたのは、まるで1970年代のある日を境に時間が完全に停止したかのような異様な空間でした。
洋館に残された生活の痕跡、子供部屋で見つかった少年の日記、そして不自然に塞がれた隠し部屋。外部との連絡が遮断された密室空間で、2人は残された遺留品からパズルのピースを埋めるように、この家で過去に起きた凄惨な事件へと近づいていきます。
本作の主要な登場人物と人間関係の構図は以下の通りです。
- 「私」(久堂充利):語り手。大学の物理学科講師。沈着冷静な観察眼と論理的思考で、洋館の不可解な謎と日記の筆跡から真実を解き明かしていく。
- 中原沙也加(倉橋美也子):「私」の大学時代の元恋人。小学5年生以前の記憶を一切持たず、自身のルーツを求めて洋館を訪れる。娘への愛着障害に怯える。
- 倉橋佑介:洋館に残された日記の主。美也子の弟であり、母親から激しいネグレクトと身体的虐待を受けていた少年。
- 倉橋民子:美也子と佑介の実母。外見を飾り立て世間体を気にする一方で、家庭内では弟の佑介を虐待し続けた張本人。
- 中原滋彦・中原和代:沙也加を引き取り、何不自由なく育て上げた養父母。娘の失われた記憶について固く口を閉ざしていた。