日本国内および日本人当事者が関わった事例の中で、法学界と社会に最も甚大な衝撃を与えたのがひかりごけ事件とパリ人肉事件です。これらはサバイバルと猟奇殺人という対極の文脈でありながら、日本の司法判断と社会規範の限界を浮き彫りにしました。
知床半島の極限劇「ひかりごけ事件」と刑法37条の壁
1944年冬、北海道の知床半島ペキンノ鼻付近で発生した陸軍徴用船の難破事故、通称「ひかりごけ事件」は、過酷な厳冬期に孤立した船長が死亡した部下の遺体を食して生き延びた事例です。戦後の1954年に事件が公となり、作家・武田泰淳が小説化したことで広く知られることとなりました。
司法の場において最大の論点となったのは、刑法37条に規定される緊急避難のカニバリズムへの適用可否でした。「自らの命を守るために已むを得ず他者の遺体を毀損した」という主張に対し、当時の釧路地方裁判所は完全な免責を認めず、懲役1年2ヶ月の有罪判決(死体損壊罪)を下しました。生きるための究極の選択であったとしても、死者の尊厳を侵害する行為に対して司法が一定の違法性を認定した代表的事例として記録されています。
パリ人肉事件と佐川一政の生涯|公判とメディアの狂騒
1981年6月、フランス・パリで発生したパリ人肉事件は、留学生であった佐川一政(さがわ いっせい)がオランダ人女性留学生を殺害し、その遺体の一部を損壊・食人した凶悪事件です。犯行直後、スーツケースに遺体を詰めてブローニュの森に遺棄しようとしたところを目撃され逮捕されました。
フランス当局による精神鑑定の結果、心神喪失状態と判断され不起訴処分(アン・デマンド)となり、現地の精神病院に強制入院。その後1984年に日本へ送還されました。東京都立松沢病院での再鑑定では「心神喪失ではなく人格障害の範囲であり刑事責任能力は存在した」と診断されたものの、フランス側の不起訴決定書類の開示拒否等により日本での再起訴は見送られる結果となりました。
佐川一政の晩年および現在の状況については、長らく車椅子生活での闘病生活が続いていましたが、2026年11月24日に肺炎のため73歳で死去したことが親族より公表されています。自著の手記出版やメディア出演が繰り返された昭和・平成期の狂騒は、犯罪加害者の商業的利用と被害者感情のあり方に深い倫理的課題を残しました。