本作の波がもたらす怖さは、災害の直接的な被害表現ではなく、神話的かつ過剰なアニメーションの快楽から生じている。CG全盛の時代において、手描きアニメーションの極限に挑んだ宮崎駿の執念が、画面に異様な狂気と圧迫感を宿らせた。
巨大な魚の群れが姿を変えながら押し寄せる水没シーン。波そのものが意志を持った巨大な生命体として描かれ、陸地を呑み込んでいく。圧倒的な作画密度で描かれる「躍動する水」は、観客の網膜に強い快感を与える一方で、人間という存在のちっぽけさを突きつける。抗いようのない自然の暴力性が、躍動感あふれる美しさとして提示される乖離こそが、生理的な恐怖の源泉だ。
音響設計と久石譲の手掛ける音楽も、その恐怖を増幅させる要素として機能している。通常のアクション映画やパニック映画であれば、絶叫や地鳴りのような破壊音が響き渡る場面だ。しかし本作では、久石譲による管弦楽のクラシカルで壮大なメロディが響き渡り、どこか宗教的な荘厳さすら醸し出す。この視覚と聴覚のギャップが、観客に不気味な不協和音をもたらし、「美しいのに恐ろしい」という多層的な心理状態を作り出している。