白峯神宮の門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのは本殿脇に奉納された圧巻のボール群です。Jリーグ、Bリーグ、Vリーグのプロ選手からワールドカップ日本代表、さらには甲子園を目指す高校球児まで、公式球に直筆で刻まれた決意の数々は参拝者を圧倒します。この社が「球技の神」と呼ばれる決定的な理由は、境内の地歴と配祀神のルーツにあります。
現在の白峯神宮が建つ地は、かつて平安時代から代々「蹴鞠(けまり)と和歌の宗家」として朝廷に仕えた公家・飛鳥井家(あすかいけ)の邸宅跡です。飛鳥井家が代々屋敷内の守護神として祀っていたのが、蹴鞠の守護神である「精大明神(せいだいみょうじん)」でした。精大明神は球技全般を司る神とされ、鞠を地面に落とさず繋ぎ続ける蹴鞠の精神性が転じて、現在ではサッカー、バスケットボール、バレーボール、野球、テニス、卓球、バドミントンなど、あらゆる球技・武道の守護神として全国に知れ渡ることとなりました。
一方で、白峯神宮の主祭神には、第75代崇徳天皇(すとくてんのう)と第47代淳仁天皇(じゅんにんてんのう)が祀られています。崇徳天皇は1156年の「保元の乱」に敗れて讃岐国(現在の香川県)へ配流となり、淳仁天皇は764年の「藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)」で淡路国へ配流となった悲運の歴史を持ちます。明治維新の激動期、明治天皇は1868年(慶応4年/明治元年)に讃岐の白峯陵から崇徳天皇の御霊を京都へ迎え入れ、社殿を創建しました。さらに1873年(明治6年)には淡路陵から淳仁天皇の御霊を合祀し、官幣大社として国家の安寧を祈念したのです。
一見すると「悲運の天皇」と「球技の神」という結びつきに違和感を覚えるかもしれませんが、激動の運命に立ち向かい志を曲げなかった皇祖への敬仰と、飛鳥井家の精大明神の神徳が融合した結果、「いかなる逆境にも屈しない勝負の神」「上昇気運の守護神」としての確固たる信仰基盤が形成されました。