1972年にシングル『魔法の黄色い靴』でメジャーデビューを果たしたチューリップは、ビートルズに強い影響を受けた洗練されたサウンドで注目を集めたものの、商業的には苦境に立たされていました。続く2枚目のシングル『一人の部屋』もヒットには至らず、レコード会社(東芝音楽工業/現ユニバーサルミュージック)や事務所からは「次の3枚目が生涯のラストチャンス。これが売れなければ福岡へ帰す」という最後通告、いわゆる背水の陣を敷かれます。
バンドの命運を背負い、リーダーの財津和夫が「絶対に売れる曲を作る」という執念で書き下ろした渾身作こそが『心の旅』でした。当初のデモ音源やレコーディング初期の段階では、当然のように作詞作曲者である財津自身がメインボーカルを担当していました。
だが、スタジオで完成音源を聴いた名プロデューサー・新田和長が下した決断は、あまりにも残酷なものでした。「ボーカルを財津から、姫野(達也)に変えよう」。
当時、まだ20代前半だった姫野達也は、甘く透明感のあるハイトーンボイスと、女性ファンの目を引くアイドル的なルックスを兼ね備えていました。新田プロデューサーは「フォークの枠を突き破り、若い女性層を中心とした大衆を熱狂させるには、姫野のイノセントな歌声が不可欠だ」と直感したのです。
自負とプライドを粉々にされた財津和夫は、当時の特番インタビューや自著・手記で「悔しくてスタジオの片隅やホテルの部屋で一人涙を流した」と告白しています。しかし、バンドの存続と商業的成功を最優先にするため、財津はその屈辱を呑み込み、メインボーカルの座を姫野に譲るという苦渋の決断を下しました。