この歴史的名曲が誕生するプロセスには、まるで映画のような劇的なドラマがありました。あまりにもプライベートかつ赤裸々な失恋の痛みを書き連ねた歌詞を、富田京子本人は人に見せるのが恥ずかしく、丸めてゴミ箱へ投げ捨てていたのです。
合宿先や部屋でそのくずかごに目を留めたのが、バンドのメインコンポーザーでありフロントマンの奥居香(現・岸谷香)でした。ゴミ箱から丸められた紙を拾い上げ、広げて読んだ奥居は、そこに綴られた生々しい感情の美しさに強い衝撃を受けます。
「こんなに胸に刺さる素晴らしい歌詞を捨てるなんて絶対にあり得ない!」
奥居香はその場で紙を握りしめ、ピアノへと向かいました。歌詞に込められた富田の悲痛な叫びに引っ張られるようにして、わずか数十分で切なくドラマティックなメロディが一気に湧き出たと伝えられています。自分の生々しい失恋を歌にされることを最初は涙ながらに拒絶した富田でしたが、奥居の紡いだメロディの圧倒的な美しさに心を動かされ、バンドの楽曲として世に送り出すことを承諾しました。