創業からわずか2年後の2000年3月、サイバーエージェントは東証マザーズに上場を果たしました。藤田晋氏は当時26歳という、史上最年少での株式公開を成し遂げ、時代の寵児としてメディアの脚光を一身に浴びることになります。初値は公開価格1500万円を大幅に上回る約1500万円(分割考慮前)をつけるなど、市場は熱狂に包まれました。
しかし、その栄光は長くは続きませんでした。上場直後の2000年春、米国市場を皮切りに「ITバブル(ネットバブル)の崩壊」が世界中を直撃します。実体経済や収益基盤が追いついていないインターネット企業に対する市場の不信感は一気に高まり、サイバーエージェントの株価も公開価格の数分の一へと大暴落。連日のようにメディアや投資家から「虚業」「赤字垂れ流しのペテン」と激しいバッシングを浴びる事態となりました。
株価暴落により時価総額が大きく毀損したことで、さらに深刻な事態が発生します。それが「敵対的買収の危機」でした。時価総額が手元資金と同等水準まで落ち込んだことで、外部の投資ファンドや競合企業から格好の標的とされたのです。自著『渋谷ではたらく社長の告白』でも、藤田氏は当時の精神的重圧について「毎朝起きるたびに胃がキリキリと痛み、会社に行くのが恐怖だった」と赤裸々に綴っています。
この最大の危機を救ったのが、藤田氏の前職の上司であり、恩人でもあったインテリジェンス創業者の宇野康秀氏(現・USEN-NEXT HOLDINGS代表取締役社長CEO)でした。宇野氏は藤田氏の才能と事業の将来性を信じ、サイバーエージェントの株式を市場から買い支え、筆頭株主としてホワイトナイト(友好的買収者)の役割を果たしたのです。この支援によって買収の脅威を退けた同社は、経営の独立性を守り抜き、再起への足がかりを掴むことができました。