細野豪志氏が野党再編の混乱期を経て無所属となり、最終的に自民党入りを果たすまでのプロセスは、政治的に極めてリスキーな綱渡りでした。かつて民主党の看板を背負っていた細野氏が自民党に入るにあたっては、自民党静岡県連や地元保守層からの激しい反発が巻き起こったのは周知の事実です。
この極限状態を打開する原動力となったのが、節代夫人による草の根の地元対話でした。節代夫人は派手な政治集会での演説ではなく、三島市や富士市、駿東郡などの地域コミュニティ、婦人部、商店街、農林水産業の関係先を地道に訪問。細野氏の政策への思いを誠心誠意伝え続けました。
地元後援会の幹部は次のように述懐しています。「細野さんが東京の政局で矢面に立たされていた時期も、奥さんは地元で頭を下げ続けていた。決して偉ぶらず、誰に対しても腰が低い。あの奥さんの姿を見て『細野を見捨てるわけにはいかない』と結束を固めた支援者は少なくない」。保守層の長老たちも夫人の礼節と献身ぶりに心を動かされ、結果として自民党公認を得て圧勝する礎が築かれました。