1986年9月、本名の宍戸江利花としてプロデビュー。当初は正統派のファイトスタイルでしたが、ヒールユニット「極悪同盟」への加入を機に頭角を現し、リングネームをアジャコングへと改名しました。このリングネームは、当時の先輩レスラーであったブル中野らによって命名されたものです。
1990年代に入ると、ブル中野との金網デスマッチやライバル関係、豊田真奈美や北斗晶らとの歴史的死闘を通じて女子プロレスブームの頂点に君臨。1995年にはアメリカのWWF(現WWE)へ参戦し、サバイバー・シリーズにおいて圧巻の4人抜きを演じるなど、世界規模のインパクトを残しました。
全日本女子プロレス退団後は、アルシオンやGAEA JAPANなど数々の団体を渡り歩き、フリーランスとしても無類の存在感を発揮。国内主要タイトルを総なめにし、男子レスラーとの対戦やデスマッチにも挑むなど、プロレスの境界線を広げ続けるパイオニアとして歴史に名を刻んでいます。