「必死(必ず死ぬ)」を前提とした特攻作戦において、生還を果たすことは極めて例外的な事態でした。しかし、残された記録や公的文書を精査すると、生還には明確な物理的・状況的要因が存在していたことが分かります。
第一の要因は、「機体の深刻な不具合・エンジントラブル」です。大戦末期の日本軍は熟練工の徴兵や資源不足により、航空機の生産品質が著しく低下していました。整備不良やエンジンの油圧低下、計器の故障が多発し、離陸直後や洋上飛行中に飛行不能となり、不時着や基地への引き返しを余儀なくされた事例が数多く記録されています。
第二は、「視界不良・悪天候および敵艦艇の未発見」による正規の帰投です。特攻作戦では「敵艦を発見できない場合は無駄死にを避け、帰投して次の機会を期すべし」という建前上の戦術指導が存在しました。雲海に阻まれて敵艦を捕捉できず、燃料限界寸前で基地へ引き返した隊員も少なくありません。陸軍特攻「万朶隊」の佐々木友次伍長のように、上官の命令に抗して「生きて爆撃戦果を上げ、再出撃する」という信念のもと、幾度も帰投を繰り返したパイロットの記録も実在します。
第三は、「直掩(ちょくえん)・戦果確認任務」に伴う帰還です。特攻機を敵戦闘機の迎撃から守り、突入の瞬間を見届けて司令部へ報告する役割を担った熟練のゼロ戦パイロットたちは、任務の性質上、母基地への帰還が義務付けられていました。
第四は、「出撃直前の終戦」です。1945年8月15日の玉音放送時、出撃準備を整えて待機していた多数の若者が、突如として作戦中止を命じられ、死の淵から現実の世界へと引き戻されました。