『日本書紀』の推古天皇十二年(西暦604年)夏四月の条に記録されている『十七条憲法』。その冒頭を飾る第一条の全文を確認すると、太子の意図がはっきりと見えてきます。
【漢文原文】
「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨、亦少達者。是以或不順二親君、乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。」
【書き下し文】
「一に曰く、和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。人皆党(たけき)有り、亦達(さと)れる者少し。是を以て、或いは親君(しんくん)に順はず、乍(また)隣里(りんり)に違(たが)ふ。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論ずるに諧(かな)ふときは、則ち事理自(おのずか)ら通ず。何事か成らざらん。」
【現代語訳】
「第一条:人々が互いに調和し協力し合うことを尊び、感情的に反発・衝突しないことを根本としなさい。人間には誰しも派閥や偏見があり、物事の道理を見通せる賢者は少ない。そのため、親や主君に従わなかったり、近隣の人々と争ったりしてしまう。しかし、身分の高い者も低い者も互いに穏やかに打ち解け、徹底して物事について論じ合い納得することができれば、自然と道理に適った結論へと導かれる。そうなれば、どのような困難な事業であっても成し遂げられないことなどない。」
全文を一読すれば明らかなように、聖徳太子は「事を論ずる(しっかり議論すること)」を不可欠なプロセスとして挙げています。意見を言わずに沈黙を守ることではなく、身分や立場の壁を越えてオープンに語り合い、感情的な反発(忤ふること)を抑えて道理を通すことこそが説かれているのです。