SNSの普及により、アスリートとファンの距離はかつてないほど近くなった。その結果、ファンは選手に対して競技力だけでなく、高い道徳性やクリーンなイメージを求めるようになっている。ひとたび私生活で問題を起こせば、スポンサーの撤退やファン離れに直結する時代だ。
しかし、アスリートも生身の人間であり、完璧ではない。過度な聖人君子化を求めるあまり、一度の失敗も許さない不寛容な社会になってはいないだろうか。公人としての責任を追及することと、一人の人間としてのプライバシーを守ることのバランスを、私たちはどう取るべきなのか。この問いは、今もなお明確な答えを得られていない。