少女時代の根本七保子は、母の苦労を間近で見つめながら育った。中学生になる頃には「自分が母を助け、家族を貧困から救う」という強い誓いを胸に抱くようになる。千代田生命保険への就職、そして夜間の定時制高校への通学。さらに映画の仕出し弁当のアルバイトや高級クラブでの勤務など、若き日の彼女は寸暇を惜しんで働き、稼いだお金のほとんどを家に送った。
1959年、運命の歯車が大きく動き出す。日本を訪れていたインドネシアのスカルノ大統領に見初められ、19歳だった七保子は海を渡る決断を下す。異国の地へ飛び立つ娘を送り出す際、母・福島が抱いた胸中には、言いようのない不安と切なさが交錯していた。遠く離れた異国で大統領妃となる娘のニュースを、日本のささやかな自宅で見守り続けた母。貧困をともに乗り越えたからこそ育まれた親子の絆は、どれほど距離が離れようとも揺らぐことはなかった。