新撰組の歴史は、幕府への忠誠と同時に、苛烈を極めた「内部粛清」の歴史でもありました。法度を破った者には切腹が命じられ、外部の敵と戦って討死した隊士よりも、身内の粛清によって命を落とした隊士のほうが多いとされるほどです。
歴史の転換点となった主な事件と、幹部たちの最期を追跡します。
芹沢鴨暗殺事件の経緯(文久3年・1863年)
筆頭局長であった芹沢鴨は、酒乱による乱暴狼藉や大坂の商家への焼き討ちなど、隊の評判を失墜させる行動を繰り返していました。会津藩からの密命を受けた近藤・土方一派は、八木邸での酒宴の夜、泥酔した芹沢を寝所で急襲。愛妾のお梅とともに惨殺し、すべての実権を近藤派が掌握しました。
油小路の変詳細(慶応3年・1867年)
思想の違いから新撰組を離脱し「御陵衛士」を結成した伊東甲子太郎一派を壊滅させた事件です。近藤らは伊東を酒宴に招いて暗殺後、その遺体を油小路七条の辻に放置。遺体を引き取りに現れた藤堂平助や服部武雄ら御陵衛士の同志を待ち伏せし、激しい市街戦の末に壊滅させました。かつての同志であった藤堂平助(享年24)の落命は、隊内にも深い傷跡を残しました。
主要幹部たちの死因と最期一覧
- 近藤勇(享年35):慶応4年(1868年)、流山で新政府軍に投降。身分を偽るも露見し、下総国板橋宿(現在の東京都北区)にて斬首刑。
- 土方歳三(享年35):明治2年(1869年)、箱館戦争のさなか、一本木関門付近で馬上で指揮中に銃弾を腹部に受け戦死。
- 沖田総司(享年26前後):慶応4年(1868年)、江戸千駄ヶ谷の植木屋・平五郎宅の離れにて肺結核により孤独に病没。近藤の死を知らぬまま息を引き取ったと伝わる。
- 山南敬助(享年33):元治2年(1865年)、近藤・土方との路線対立から無断脱走を試みるも捕縛され、沖田総司の介錯により切腹。
- 原田左之助(享年29):上野戦争(彰義隊)に参加し、重傷を負って本所にて戦死した説が有力。