「なぜ和の温泉街に大正モダン建築が存在するのか」という疑問の答えは、江戸時代末期の1826年(文政9年)に遡ります。オランダ商館の医師として来日したドイツ人博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、江戸参府の途上で嬉野温泉に宿泊しました。彼はその著書『江戸参府紀行』の中で、嬉野の温泉が高温かつ清澄であり、地域住民の健康を支えている様子を詳細に記録しています。西洋近代医学の祖がその泉質を高く評価した事実は、嬉野の歴史における大きな誇りとなりました。
時は下り大正時代、嬉野温泉では近代化の波とともに洋風文化が流入します。大正13年(1924年)、嬉野川沿いに木造2階建て・ゴシック風の公衆浴場「古湯温泉(ふるゆおんせん)」が建造されました。当時としては極めて前衛的だったモダンな洋館浴場は、長年にわたり町民と湯治客に親しまれましたが、建物の老朽化と耐震性の問題により、惜しまれつつも1996年(平成8年)に解体・閉館を余儀なくされました。
しかし、町のアイデンティティであった洋館浴場の消失を惜しむ声は根強く、嬉野市と地域住民が一体となって再建プロジェクトが始動。2010年(平成22年)4月1日、かつての大正モダンな外観と意匠を最新の耐震基準とバリアフリー設計で再現し、シーボルトの名を冠した「公衆浴場 シーボルトの湯」として見事な復活を遂げました。館内2階にはシーボルトの足跡や大正期の資料を展示したギャラリーが併設されており、単なる温浴施設を超えた地域文化の発信拠点として機能しています。