「1+1=2を証明するのに300ページ以上を費やした」という有名なエピソードの舞台となったのは、イギリスの哲学者・論理学者バートランド・ラッセルとアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが1910年から1913年にかけて世に送り出した記念碑的著作『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』です。
ケンブリッジ大学出版局の原典記録を確認すると、実際に「1+1=2」という命題が登場するのは第1巻の379ページ(命題54.43)。そこには「この命題から、算術的加法が定義された暁には、1+1=2が導かれることになる」という注釈が静かに記され、実際に加法が厳密に定式化されて完全に証明が完結するのは、なんと第2巻の86ページ(命題110.643)に達してからのことです。
なぜこれほどの紙幅を要したのでしょうか。当時の数学界は「カントールの集合論」に端を発する論理的パラドックス(いわゆるラッセルのパラドックス)に激しく動揺していました。「数学の体系に矛盾はない」と無条件に信じられていた足場が崩れ去り、あらゆる直感を排して「そもそも数とは何か」「命題とは何か」という記号論理学のゼロ地点から再構築する必要に迫られたためです。
彼らが数百ページを費やしたのは「1+1=2の計算」そのものではなく、「空集合」「論理積」「同値関係」「型理論」といった推論体系の土台を一から組み上げる作業でした。現代のプログラミング言語に例えるなら、半導体の物理特性から機械語、コンパイラをすべて自作した上で、ようやく画面に「1+1=2」を表示させたような作業だったと言えます。