新羅が成し遂げた最大の歴史的偉業は、676年の朝鮮半島統一です。小国であった新羅が強大な高句麗や百済を呑み込む契機となったのは、大国・唐(中国)との間で結んだ「唐羅同盟」という極めて高度な外交戦略でした。
7世紀中盤、百済と高句麗の挟撃を受けて国家存亡の危機に瀕した新羅は、中国の唐王朝へ接近。唐にとっても高句麗を背後から牽制できる新羅との連携は好都合であり、両国の利害が完全に一致しました。
連合軍はまず660年に百済を滅亡へと追い込みます。これに対し、百済復興を支援すべく大軍を派遣したのが中大兄皇子(後の天智天皇)率いる倭国でした。663年の「白村江の戦い」において、唐・新羅連合軍は倭国・百済遺民の水軍を完膚なきまでに撃破。百済再興の夢を完全に断ち切りました。
勢いに乗る連合軍は668年に高句麗を滅亡させます。しかし、新羅の真骨頂はここからでした。百済・高句麗の旧領を直接支配しようと目論む唐の野心を察知した新羅は、かつての敵であった百済・高句麗の遺民勢力を巧みに自軍へと取り込み、かつての同盟相手である唐との全面戦争(羅唐戦争)に突入。676年に唐の軍勢を半島から完全に駆逐し、大同江から元山湾以南の半島領域を掌握する「統一新羅」の時代を切り拓きました。