多くの読者が抱く最大の疑問が、「古代の東北にいた蝦夷(えみし)」と「北海道を中心に独自の文化を築いたアイヌ民族(えぞ)」は同一なのか、という蝦夷アイヌ違い真相です。この問いに対して歴史学・考古学・人類学の境界領域が導き出した答えは、「連続性と非連続性が共存する重層的な関係」です。
歴史的な推移を整理すると、本州東北部の蝦夷(エミシ)は、7世紀から9世紀にかけて朝廷の支配下に入り、後述するように日本社会の内部へと融和していきました。一方で、北海道や北東北に留まった集団は、本州の土器文化の流れを汲む「擦文(さつもん)文化」を形成します。さらに北方のサハリンやオホーツク海沿岸からは、海獣狩猟に秀でた「オホーツク文化」の人々が南下してきました。
この蝦夷地北海道歴史経緯において決定的な画期となったのが、10世紀から13世紀にかけての動乱です。擦文文化の人々とオホーツク文化の人々が激しく接触・融合し、独自の宗教観(熊送り・イオマンテなど)やチセ(家屋)、アイヌ語を共有する「アイヌ文化」が確立されていきました。つまり、古代東北のエミシは「アイヌ民族の直接の祖先そのもの」ではなく、「現代の和人(特に東北人)とアイヌ民族の双方に対して、遺伝的・文化的な源流を分かち合っている共通の母体の一つ」と理解するのが最も正確です。