帝国陸軍の軍事指導者層を語る上で欠かせないのが、10代前半の少年たちを集めて徹底した軍事エリート教育を施した「陸軍幼年学校」の存在です。東京、大阪、広島、仙台、熊本、名古屋に設置された幼年学校は、全国から学力・体力ともに極めて優秀な少年を厳格な試験で選抜しました。
陸軍幼年学校のエリート教育実態を取材した記録や卒業生の回想録によれば、生徒たちは中学1年生に相当する13歳前後で親元を離れ、全寮制の中で「軍人勅諭」の完全暗記、高度な数学、外国語、馬術や剣道といった英才教育を叩き込まれました。授業料は原則無料であり、貧しい家庭の優秀な子弟にとって立身出世の登竜門でもありました。しかし、外部社会との接触を極度に遮断された環境は、自らを「国家の支柱」「選民」とみなす極端な純粋性と硬直性を育み、後年の軍部独走の温床となった側面は否定できません。
その教育を受けた将校たちが中枢を占めた帝国陸軍は、やがて独善的な対外侵略と無謀な世界大戦へと突き進んでいきました。戦後に開廷された東京裁判における陸軍将校の判決理由を公判記録から分析すると、連合国側裁判官が最も重視したのは「共同謀議(謀略による侵略戦争の遂行)」と「捕虜および非戦闘員に対する残虐行為の防止義務違反(不作為の罪)」でした。
東條英機、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、松井石根ら陸軍将校が死刑判決を受けた決定的な要因は、国際法を無視した侵略戦争の首謀責任のみならず、前線の暴走や虐殺を把握していながらそれを抑止する命令を発しなかった「組織トップとしての不作為」にありました。個々の軍人としては廉潔で私心のない人物であったとしても、軍事組織の暴走を是認し、国家を破滅へ導いた指導責任は国際法廷において極めて重く断罪されたのです。