1992年にSUPER MONKEY'Sとしてデビューした安室奈美恵は、上京後の下積み時代を経て、1995年に音楽プロデューサー・小室哲哉とタッグを組みます。ここから彼女を取り巻く環境は激変しました。
当時の渋谷はギャル文化が急速に勃興していた時期でした。日焼けした肌、茶髪のストレートロング、細眉、ミニスカート、厚底ブーツという彼女のスタイルを、10代から20代の若い女性たちが一斉に模倣し始めます。彼女たちは「アムラー」と呼ばれ、単なるタレントのファンという枠組みを超え、若者文化そのものを定義する記号となりました。
オリコンチャートにおける歴代CD売上ランキングを見ても、この時期の記録は群を抜いています。
- 1位:『CAN YOU CELEBRATE?』(1997年) - 約229.6万枚(邦楽女性ソロ歴代1位)
- 2位:『DEPARTURES』カバー等を収録したアルバム『SWEET 19 BLUES』(1996年) - 約336万枚
- 3位:『Chase the Chance』(1995年) - 約136万枚
- 4位:『Don't wanna cry』(1996年) - 約139万枚
- 5位:『You're my sunshine』(1996年) - 約109万枚
しかし、この空前の熱狂の裏で、本人は深刻な精神的重圧に直面していました。のちの特別インタビューや手記において、彼女自身が「当時は敷かれたレールの上をただ全力疾走していただけで、作られた自分のイメージと本当の自分との乖離に苦しんでいた」という趣旨の告白を残しています。目まぐるしいスケジュール、プライベートを追い回す過熱報道、そして若くして背負った「時代のアイコン」という看板は、10代の少女にとってあまりにも重いものでした。