孫文記念館の象徴である「移情閣」のルーツは、明治から大正にかけて神戸を拠点に貿易・投資で巨万の富を築いた中国人実業家、呉錦堂(ご きんどう)が明治末期に構えた別荘「松海荘」に始まります。大正4年(1915年)春、その別荘の付属施設として増築されたのが、現在の三層八角の楼閣です。その姿が水面に映る風光明媚な佇まいから、古詩にちなんで「移情閣」と命名されました。
なぜこの館が孫文を記念する施設となったのか――その背景には、近代東アジアの激動を物語る辛亥革命の歴史と、神戸の政財界人たちによる熱い支援のドラマが存在します。1911年に勃発した辛亥革命によって清朝を打倒し、中華民国臨時大統領となった孫文は、革命運動の拠点としてたびたび来日し、多くの日本人有志や在日華僑から資金的・精神的な支援を受けました。1913年(大正2年)3月、再来日した孫文が神戸を訪れた際、呉錦堂をはじめとする神戸の政財界・華僑有志が一堂に会して盛大な歓迎昼食会を開いた舞台こそが、この松海荘(移情閣の母体)でした。
その後、時代の波とともに別荘本体は姿を消しましたが、八角堂(移情閣)は華僑総会から兵庫県へと寄贈され、1984年11月に「孫中山記念館」として開館。2007年には現在の「孫文記念館」へと改称されました。特筆すべきは、1990年代に明石海峡大橋の架橋工事ルート上に位置していたことから、一度解体され、約200メートル西南の現在地(神戸市舞子公園内)へ移築・復元された歴史を持つ点です。大正初期の貴重な国指定重要文化財でありながら、現代の巨大インフラと美しく共存する奇跡の近代建築として、今なお多くの歴史愛好家を惹きつけてやみません。