2011年3月の福島第一原子力発電所事故は、日本の情報インフラと政府への信頼を根底から揺さぶった。連日のように報じられる放射性物資の検出データ、刻一刻と変わる安全基準値。専門家ごとの意見の食い違いは、人々の間に計り知れない疑念を生み出した。
当時、行政のリスクコミュニケーションは決して十分とは言えず、安全性を強調する政府発表に対して疑問を抱く人々が自主的に検査を行う動きが広がった。山本氏の発言もまた、そうした混乱と行政不信の渦中で生まれた徒花(あだばな)と言える。
科学的根拠に基づかない不安が過剰な反応を引き起こす一方で、十分な情報開示が行われなかった初期対応の遅れも事実である。双方の溝が埋まらぬまま時が経過したことで、リスクをめぐる言葉の応酬は感情的な対立へと変質していった。