『咳をしても一人』の真実:尾崎放哉の奇妙な漂泊と絶望の裏側

『咳をしても一人』の真実:尾崎放哉の奇妙な漂泊と絶望の裏側

『咳をしても一人』の真実:尾崎放哉の奇妙な漂泊と絶望の裏側の注目ポイントを丁寧に掘り下げてご紹介します。

近代の漂泊文学を語る上で、避けて通れないのが種田山頭火との対比だ。ともに酒に溺れ、寺に身を寄せ、自由律の極致を歩んだ二人だが、その表現と思想のベクトルは真逆と言ってよい。

山頭火が西日本を泥酔しながら歩き回り、風雲や路傍の花に自分を重ねた「動」の漂泊者だとすれば、放哉は狭い庵のなかに閉じこもり、己の内面と壁だけを見つめ続けた「静」の漂泊者だった。「歩いて歩いて」と旅を続けた山頭火に対し、彼は小豆島の庵で「すばらしい乳房だ」と畳に這いつくばる。動けない身体と閉じられた空間のなかで、感覚だけを研ぎ澄ませていった。

移動することによって自己を解き放とうとした山頭火と、動かぬ狭室で自己を削り取っていった男。ふたつの極限運動が、日本の漂泊文学に不滅の足跡を残した。

中島 亮太
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中島 亮太

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