1980年代から1990年代にかけて、自由民主党の内部では東アジア外交を巡る激しい路線対立が続いていた。アジア外交の重視と北朝鮮との国交正常化を目指す動きがある一方で、相次ぐ失踪事件に対する懸念が燻っていた。
一方、日本国外務省は冷戦下の複雑な国際情勢と安全保障の制約を受け、慎重な姿勢を崩さなかった。公式な外交交渉のテーブルに乗らない「失踪者問題」に対し、外務省の官僚機構は事実認定に極めて慎重だった。この行政の硬直性を打破しようと試みたのが、派閥を超えた一部の政治家たちによる極秘のパイプ構築であった。