ドラフト会議での波乱を経てドラフト1位で埼玉西武ライオンズに入団した清原和博は、ルーキーイヤーから鮮烈な活躍を見せた。日本野球機構の歴史に刻まれる本塁打を積み重ね、球界の頂点へと駆け上がっていく。その後、幼少期からの憧れであった読売ジャイアンツへ移籍。巨大なデッドボールやケガとの戦い、プレッシャーに押しつぶされそうな日々が続く。
華々しいプロ野球のスターとしてスポットライトを浴びる一方で、過剰な報道や批判に晒される息子を、母・弘子さんは静かに見守り続けた。体調を崩した際には手料理を届け、どんなときも「あんたはあんたや」と声をかけ続けたという。世間が何を言おうと味方であり続ける強さ、それが弘子さんの美徳だった。