安重根の死後、残された家族は激動の東アジア近現代史の荒波に呑まれ、苛烈な運命を辿ることになりました。長男の安文生は幼少期に不審死を遂げ、次男の安俊生(アン・ジュンセン)は各地を転々とする極貧生活を強いられます。
1939年、安俊生は朝鮮総督府の政治的思惑もあり、ソウルの博文寺(伊藤博文を祀るために建てられた寺院)を訪れ、伊藤博文の次男である伊藤文吉と対面しました。この席で俊生は父の罪を謝罪し、劇的な「和解」を演出させられることになります。しかし、この行動は後に大きな悲劇を生みました。
1945年の祖国解放後、韓国社会において安俊生は「民族の英雄の息子でありながら敵に屈した親日派(裏切り者)」として激しい弾圧と非難に晒されることになったのです。失意のうちに俊生は1951年に病没し、安重根の直系子孫の多くは祖国を離れ、アメリカなど海外への移住を余儀なくされました。英雄の遺族であるがゆえに背負わされたこの過酷な歴史は、暗殺事件がもたらした影の深さを物語っています。