戦国最強の赤備えと玉の真相!武田から真田・井伊へ受け継がれた理由

戦国最強の赤備えと玉の真相!武田から真田・井伊へ受け継がれた理由

戦国最強の赤備えと玉の真相!武田から真田・井伊へ受け継がれた理由の要点や背景をコンパクトにまとめました。全体像を一目で把握できます。

赤備えの歴史を紐解く上で、起点となるのが甲斐の虎・武田信玄の軍団改革です。戦国時代における軍装は、各武将が思い思いの具足を身につけるのが通例であり、部隊全体の色を真紅で統一すること自体が異例中の異例でした。最初に赤備えを率いたのは武田家の重臣・飯富虎昌(おぶとらまさ)であり、その勇猛果敢な戦ぶりから「甲山の猛虎」と恐れられました。虎昌の刑死後は、その実弟(甥とも伝わる)である山県昌景(やまがたまさかげ)が部隊を引き継ぎ、武田軍最強の突撃部隊としてその名を日本全土に轟かせることになります。

武田信玄が赤備えの編成を認めた最大の理由は、戦場における「絶対的な視認性と恐怖の植え付け」にありました。当時の赤色塗料には、極めて貴重で高価な鉱物である「辰砂(水銀朱)」がふんだんに用いられていました。赤備えを身に纏うことは、卓越した武芸を持つ選ばれし精鋭であることの証明であり、対峙する敵兵に対して「あの山県隊が突撃してくる」という強烈な心理的圧迫感(アナウンス効果)を与えたのです。

三方ヶ原の戦い(1573年)において、山県昌景率いる赤備え騎馬隊は徳川家康の本陣を急襲し、徳川軍を壊滅寸前にまで追い詰めました。敗走した家康が生涯最大の恐怖を味わった瞬間であり、この鮮烈な記憶がのちに徳川軍における赤備えの再興へと繋がっていきます。

渡辺 美咲
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渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。