戦後間もない1946年、一人の青年が浅草の地に小さな淡水魚の店頭販売店を開いた。男の名は根本忠雄。のちに日本の食文化史において「焼き鳥の父」と称される人物である。当初はフナやドジョウなどを扱っていたが、冬場に川魚の手配が困難になると、彼は当時高級品だった鶏肉に着目した。
安価で質の良い鶏肉を串に刺し、手軽に食べられるファストフードとして街頭で売り出したのが爆発的ヒットを記録する。これが株式会社鮒忠の起点であり、それまで料亭や一部の専門店でしか味わえなかった高級食材・鶏肉を、庶民の日常食へと解放した歴史的瞬間だった。同社が確立した鶏肉の大量仕入れと加工システムは、その後の日本の外食産業全体に計り知れない影響を与えることになる。