八幡の藪知らずが禁足地となった理由については、江戸時代から学者や旅人によって数多くの考察がなされてきました。代表的な説には以下のようなものがあります。
① 平将門の怨霊・首塚説
平安時代中期に反乱を起こした平将門(たいらのまさかど)の首塚、あるいは将門の家臣の遺体を埋葬した墓所とする説です。朝廷軍と戦った将門の怨霊が眠っているため、土足で踏み荒らすと恐ろしい祟りがあると恐れられました。
② 葛飾八幡宮の旧鎮座地(元八幡)説
八幡の藪知らずは、平安時代初期に建立された葛飾八幡宮が最初に祀られた場所(旧鎮座地)、あるいは神事の際に魚や鳥を放す「放生池(ほうじょうち)」の跡地だったという説です。神が最初に降り立った聖域であるため、神聖不可侵の地として人間が入ることを禁じたと考えられています。
③ 貴人の墳墓(古墳)説
この地域一帯は古代の下総国の中心地であり、身分の高い貴人や豪族を埋葬した古墳であったという説です。死者の霊を慰める聖域として土を掘り返すことが禁忌とされ、長い年月の間に竹藪へと変化したと伝えられます。
④ 日本武尊(ヤマトタケル)の陣屋跡説
古代の英雄・日本武尊が東征の折に陣を張った跡地であり、陣屋の敷地を神聖視した名残とする説も残されています。