犯行当夜、犯人の飯田は一家が寝静まったのを見計らい、庭に置かれていた薪割り用の斧を手にした。仁左衛門をはじめ、抵抗する間もなく襲われた家族と女中たちは、頭部を激打されて即死状態であったと伝えられている。殺害後、飯田は邸内から現金や衣類、そして喉から手が出るほど欲していた米を奪い、闇に紛れて逃走した。
現場に急行した警視庁の捜査員たちは、あまりの血の海と残虐な現場の状況に言葉を失ったという。戦後の混乱期であり、目撃情報も乏しい中で捜査は難航が予想されたが、犯行の手口や盗まれた品々から、顔見知りによる犯行である可能性が浮上するまでに時間はかからなかった。
警視庁による大規模な捜査網が展開された結果、犯行から数日後、栃木県内で身を潜めていた飯田が逮捕された。取調べに対し、犯人は素直に罪を認めたものの、その動機として語られたのは主家への鬱積した怨恨と、過酷な空腹感であった。裁判の末、犯行の残虐性が重く見られ、極刑が言い渡された。