甲子園優勝後、早稲田大学へ進学した斎藤投手は、東京六大学野球でも通算31勝を挙げ、全日本大学野球選手権優勝など数々のタイトルを獲得。2010年秋のドラフト会議で4球団競合の末、北海道日本ハムファイターズにドラフト1位で入団しました。
ルーキーイヤーの2011年には6勝を挙げ、翌2012年には開幕投手を務めて完投勝利を飾るなど順調な滑り出しを見せます。しかし、その後は度重なる右肩関節唇損傷や右肘の靭帯損傷など、過酷な故障との戦いを強いられることになりました。
プロ通算成績は89試合登板、15勝26敗、防御率4.34。かつての輝きを取り戻すべくフォーム改造やリハビリに懸命に取り組みましたが、2026年シーズンをもって11年間のプロ生活にピリオドを打つことを決断しました。
会見で明かされた引退の理由は極めて潔いものでした。「自分の思い描く真っ直ぐが投げられなくなった」――。肩の痛みを抱えながらも最後までプロとしてのプライドを貫き、ファンの温かい拍手に包まれながらマウンドに別れを告げたのです。