白蓮事件を簡潔に振り返ると、「大正三美人」の筆頭と称された美貌の歌人が、富豪の夫に公開絶縁状を突きつけ、身ごもったお腹の子とともに若き社会活動家のもとへ走った前代未聞の出奔劇です。
事件の発端は大正10年10月22日、東京朝日新聞に突如として掲載された「伊藤伝右衛門への公開絶縁状」でした。そこには、金力によって人格を否定され続けた結婚生活への抗議と、夫との決別が赤裸々に綴られていました。華族の令嬢が新聞という公の場を利用して夫を公然と告発した前例のない事態に、世間は騒然となります。
当時、女性には離婚の自由すら事実上認められておらず、妻側の不貞は「姦通罪」として刑事罰の対象となる過酷な時代でした。白蓮はこの危険を承知のうえで、自らの名誉と命を懸けた大勝負に出たのです。