兼六園菊桜の歴史は、加賀藩前代未聞の文化繁栄を築いた第5代藩主・前田綱紀の時代にまで遡ります。京都御所から孝明天皇(または御所関係者)より下賜された銘木を、兼六園の前身である蓮池庭(れんちてい)へ移植したのが起源と伝えられています。
その極めて稀少な遺伝的価値から、1928年(昭和3年)には国の「天然記念物」に指定されました。しかし、半世紀近い風雪や土壌環境の悪化、さらには樹勢の衰退が重なり、1970年(昭和45年)に原木は完全に枯死してしまいました。当時、金沢市民や全国の植物愛好家からは名木の消失を惜しむ声が相次ぎ、一時は幻の桜として歴史の表舞台から消え去る危機に直面したのです。
この危機を救ったのが、枯死する前の1967年(昭和42年)から金沢の庭師や樹木医たちが秘密裏に進めていた「接ぎ木による増殖プロジェクト」でした。原木の枝から採取した穂木を丁寧に育成し、見事に活着させた後継樹が、現在の兼六園内に植樹されている「二代目 兼六園菊桜」です。絶体絶命の危機を乗り越え、現代の技術と職人の執念によって命をつないだドラマは、兼六園の文化史における重要な一幕として語り継がれています。