映画『野性の証明』のオーディションで、角川春樹氏に見出された薬師丸さんは、演技経験のないごく普通の女子中学生でした。北海道や東北の極寒の地で行われた過酷なロケーション撮影において、彼女が押しつぶされずに撮影を乗り切ることができた最大の要因は、共演した高倉健さんの徹底した配慮でした。
高倉さんは当時、まだ幼い薬師丸さんをひとりのプロの表現者として丁重に扱い、冷たい風が吹きつける現場ではそっと上着をかけ、カメラが回っていない時間にも温かい言葉をかけ続けたと伝えられています。当時の手記や回顧録において、薬師丸さんは「健さんの背中の広さと手の温もりだけが、あの過酷な現場での唯一の救いだった」と述懐しています。
映画のクランクアップ後もふたりの絆は途切れることなく続きました。薬師丸さんが女優として、そして歌手として大きな壁にぶつかるたび、高倉さんからは直筆の便りや励ましの声が届けられたといいます。昭和の映画界において、利害関係や興行プレッシャーを超越した「本物の師弟関係・擬似親子関係」が築かれていたことは、日本映画史における極めて尊い事実です。