五山送り火の中でもひときわ知名度が高く、象徴的な存在が東山如意ヶ嶽に灯る「大」の文字です。一体なぜ、数ある漢字の中から「大」という文字が選ばれたのでしょうか。実は、公式な古文書において「この人物がこの理由で始めた」と100%断定できる決定的な一次史料は存在せず、複数の有力な学説と伝承が語り継がれています。
なぜ大の字なのか理由をめぐる代表的な仮説は、主に以下の4点に集約されます。
- 弘法大師空海起源説:平安時代初期、弘法大師空海が密教の根本道場を建立する際、大和国三輪山の神託を受け、あるいは悪霊退散・厄除けを祈願して「大日如来」の象徴として「大」の字を山に描いたとする説。
- 足利義政・相国寺実彦和尚説:室町幕府第8代将軍・足利義政が、早世した愛子・足利義尚の菩提を弔うため、相国寺の僧・実彦(じつげん)に命じて如意ヶ嶽の山肌に「大」の文字を設計・点火させたとする説。
- 仏教宇宙観の「五大(地水火風空)」説:仏教における宇宙の構成要素(五大)のうち、中心的な調和を意味する形態として選ばれたとする説。また、人間が両手両足を広げた形(人形=ひとがた)を模しており、万人の魂を救済する護符の意味を持つという解釈。
- 浄土宗・一向宗の一字不説説:「大」の字ひとつで広大無辺な阿弥陀如来の功徳や慈悲を表しているとする説。
歴史学者の調査や大文字送り火歴史詳細まとめの文献によれば、文字としての送り火が確実に記録へ登場するのは江戸時代初期のことです。寛文2年(1662年)の『案内者』や延宝3年(1675年)の『洛陽名所集』などに五山の情景が記されており、江戸初期の庶民文化・都市信仰の隆盛とともに現在のような定例行事として定着したと考えられています。
起源がひとつの定説に絞られないこと自体が、京都の重層的な歴史を物語っています。公家、武家、仏僧、そして町衆たちの信仰と思惑が時代を超えて重なり合い、「大」という文字にそれぞれの祈りを投影してきた結果が、現代の姿なのです。