春日八郎『別れの一本杉』に隠された感動の真相とは?涙の誕生秘話を徹底解説

春日八郎『別れの一本杉』に隠された感動の真相とは?涙の誕生秘話を徹底解説

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『別れの一本杉』の成立を語る上で欠かせないのが、作詞家・高野公男と作曲家・船村徹の奇跡的な出会いと、生死を共にした深い絆です。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で出会った二人は、共に音楽の道を志しながらも極度の赤貧生活を送っていました。当時の手記や関係者の回想録によると、二人は新宿や浅草の安アパートを転々とし、日々の食事にも事欠く中で「いつか必ず自分たちの歌を世に送り出す」と誓い合っていたと記録されています。

転機が訪れたのは昭和30年秋でした。当時すでに結核に冒され、体調を悪化させていた高野公男が、自らの故郷の風景と別れの痛恨を投影して書き上げたのが『別れの一本杉』の詞でした。船村徹は手渡された歌詞の生々しい情景描写に激しく心を揺さぶられ、ギターを爪弾きながらわずか数十分で哀切極まるメロディを一気に書き上げました。当時の特番インタビューにおいて船村は、「公男の命が削られていく気配を肌で感じていた。あの曲は二人で泣きながら作った魂の叫びだった」と述懐しています。

この渾身の楽曲を受け止めたのが、すでに『赤いランプの終列車』(1952年)や『お富さん』(1954年)の大ヒットでスターダムにのし上がっていた春日八郎でした。春日はデモテープを聴いた瞬間、自らの故郷である福島県会津の山河を思い浮かべ、「この歌は俺が命を懸けて歌わなければならない」と強く直感したと語り継がれています。

高橋 健太
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高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。