長谷川等伯に関しては、ドラマチックな生涯ゆえにインターネットや通説でいくつかの誤解が広まっています。一次史料と近年の研究知見に基づき、その真偽を検証します。
【誤解1】等伯は狩野派と終始敵対し、独学で水墨画を極めたのか?
真相:完全な孤立独学ではありません。等伯は上洛後、狩野派の門を叩いて基礎的な技法を学んでいた形跡があります。また、雪舟の流れを汲む絵師や大徳寺所蔵の中国名画を徹底的に模写・研究していました。敵対関係にあった狩野派の組織力や構図法を貪欲に吸収したからこそ、長谷川派という強固な工房を築くことができたのです。
【誤解2】『松林図屏風』は最初から完成品の大屏風として描かれたのか?
真相:屏風の紙の継ぎ目が不揃いであること、落款の位置が不自然であることなどから、本来は屏風仕立てを想定した本画ではなく、「草稿(エスキース)」または私的な習作だった可能性が指摘されています。等伯の手元に長く残されていた下絵が、没後に屏風へ仕立て直されたという見方が現在の美術史では有力です。