歴史の幕開けにおいて、両国のルーツは驚くほど近い。高句麗の建国者として知られる朱蒙(チュモン)の血脈から分派する形で百済が誕生したという伝承は、両者が同族意識を持ちながらも、皮肉にも壮絶なライバル関係へ発展した起源を示している。満州の山岳地帯から南下して勢力を広げた高句麗は、強力な軍事力を背景に北方の覇権を固めていった。
対する百済は、漢江流域の恵まれた立地を利用して急速に発展を遂げた。中国大陸や倭国との海上ルートを確保し、高度な文化と鉄製品の貿易で財を成した百済は、北からの圧力を押し返す防波堤となる。だが、この地理的な利便性こそが、後に高句麗の強い侵略意欲を刺激する要因となっていくのだった。