60年安保闘争のシンボルとして一世を風靡した唐牛健太郎ですが、その私生活は常に波乱と隣り合わせでした。運動から身を引いた後の生活は経済的にも困窮を極め、定職に就かない放浪の時期も長かったため、家庭生活を安定して維持することは容易ではありませんでした。
唐牛健太郎の結婚歴やパートナー関係において特筆すべきは、彼の破天荒な生き方に翻弄されながらも、最後まで深い情愛で結ばれていた妻の存在です。彼は東京での運動生活や北海道での潜伏・労働を経て所帯を持ちましたが、一般的なサラリーマン家庭のような平穏な暮らしとは無縁でした。気風がよく人を惹きつけてやまない唐牛のもとには、昼夜を問わずかつての闘士や作家、ジャーナリスト、無頼の徒が集まり、家計は常に火の車だったと伝えられています。
唐牛健太郎の子供や家族関係については、プライバシーへの配慮から公の場で多くを語ることはありませんでしたが、家族思いの一面を覗かせるエピソードも残されています。過酷な運命を背負った革命児でありながら、家庭内では穏やかで茶目っ気のある父親・夫としての顔も見せていました。自らの主義主張を家族に押し付けることは決してなく、不器用ながらも深い愛情を注いでいたことが、生前親交の深かった友人たちの回想からもうかがえます。