西宮のおばさんの行動原理を正しく理解する上で欠かせないのが、1945年(昭和20年)当時の食糧配給制度と生活経済の崩壊です。当時の日本は、主要都市への空襲による物流網の寸断と制海権喪失による輸入停止が重なり、配給そのものが大幅に遅延・欠配する非常事態に陥っていました。
米は自由に市場で買えるものではなく、一人ひとりに発行される「米穀通帳」に基づき、定められたグラム数しか手に入りませんでした。成人の1日あたりの基礎主食配給量は約2合1勺(約315g)程度にまで削られ、重労働者や出征兵士、軍需工場で働く勤労動員者には増配があったものの、無職の民間人や子どもへの配給量は生命を維持するギリギリのラインでした。
この配給制度下において、自分の娘は国民学校や女子挺身隊として働き、下宿人は軍需工場で国防を支えていました。彼らが倒れてしまえば、一家の収入と配給の権利そのものが途絶えてしまいます。おばさんが雑炊を作る際、鍋の底に沈んだ貴重な米粒をすくい上げて勤労者に配り、清太や節子、そして自分自身には水分の多い上澄みを与えたのは、悪意による搾取ではなく「誰を優先して生かさなければ家が崩壊するか」という冷酷なトリアージ(優先順位付け)の結果でした。
作中で描かれた「母の形見の着物を売って一斗(約15kg)の米に換える」エピソードについても、おばさんが着物を着服したわけではなく、農家との危険なヤミ取引に奔走して清太たちのための主食を確保しようとした行動でした。しかし、その米がおばさん一家の食卓にも混ざり、徐々に配分が減っていったプロセスが、清太の中に「奪われた」という不信感を決定的に植え付けることになりました。