1998年長野オリンピックのスキージャンプ競技で、個人ラージヒルおよび団体で2冠となる金メダルを獲得し、世界中を驚嘆させた船木和喜氏。美しいフォームで「飛形点満点」を叩き出した伝説のジャンパーが、全国各地の百貨店催事場に立ち、自ら笑顔でアップルパイを手売りする姿を目撃した人も多いのではないでしょうか。
五輪の頂点を極めたトップアスリートが、一体なぜ洋菓子ビジネスを手掛けているのか。そこには、単なるセカンドキャリアの枠を超えた、故郷への深い恩返しと、日本のスキージャンプ界が抱える構造的課題に立ち向かう熱い信念が存在します。本稿では、船木氏が展開する「王様のアップルパイ」の誕生秘話や支援活動の実態、気になる味の評判から最新の購入方法まで、その全貌を徹底取材と最新データをもとに紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】- 要点1:船木和喜氏がアップルパイを販売する最大の理由は、「資金難に苦しむ次世代ジャンパーへの用具寄贈や競技環境の支援」と「故郷・北海道余市町の地域活性化」にある。
- 要点2:自ら設立した「株式会社えんとつ」のスイーツブランド「王様の工房」が手掛けるアップルパイは、余市産リンゴをふんだんに使用した本格派で、物産展でも完売が相次ぐ高評価を獲得。
- 要点3:2026年現在も現役スキージャンパーとして飛び続けながら、全国の百貨店催事での対面販売や公式通販を通じ、子供たちへスキー用具を届ける支援活動を精力的に継続している。
【真相】なぜ船木和喜はアップルパイを売るのか?事業立ち上げの背景と理由
長野五輪で日本中に感動をもたらした金メダリストの船木氏が、洋菓子事業を本格化させたのは2008年のことでした。自ら「株式会社えんとつ」を設立し、菓子製造・販売ブランド「王様の工房」を立ち上げました。
多くのファンやメディアが「なぜスキージャンプの英雄がアップルパイなのか?」と驚きを隠せませんでしたが、その背景には明確な2つの動機がありました。
第一の理由は、「故郷・北海道余市町への恩返し」です。ニッカウヰスキーの創業地としても知られる余市町は、日本で初めてリンゴの栽培に成功した歴史を持つ名産地でもあります。過疎化や後継者不足に悩む地元農業を支え、特産品であるリンゴの価値を全国に発信したいという強い郷土愛が、アップルパイづくりの原点となりました。
第二の理由は、「アスリートとしての自立と活動資金の確保」です。冬季競技のアスリートは、企業所属のプロであっても不況やスポンサー離れの影響を直接受けやすい環境に置かれています。他者や企業頼みのスポンサー獲得に依存するのではなく、「自らビジネスを起こし、競技資金を創出する」という先進的なアスリート起業家の道を切り開いたのです。
【後進育成と支援活動】売上が生み出す「未来のメダリストたち」
船木氏がアップルパイの販売に心血を注ぐ最大の原動力は、「日本のスキージャンプ界を支える子どもたちの育成」に他なりません。
スキージャンプは、スキー板やビンディング、ヘルメット、専用ジャンプスーツ一式を揃えるだけでも数十万円から百万円単位の費用がかかります。成長期の子どもたちは毎年のようにサイズが変わるため、道具代の負担に耐えかねて競技を断念せざるを得ない家庭が後を絶ちません。国内のジャンプ人口が減少傾向にある現実を、船木氏は強い危機感をもって受け止めていました。
そこで船木氏は、「王様の工房」の収益を活用し、全国各地の小中高生ジャンパーに向けてスキー板やヘルメット、ジャンプスーツなどの高額用具を無償で寄贈する支援活動をスタートさせました。この取り組みは一時的なものではなく、すでに十数年以上にわたって地道に継続されています。
さらに活動の場は競技支援にとどまらず、全国の児童養護施設への訪問や寄付、子どもたちに夢を伝える講演活動など、幅広い社会貢献へと広がっています。「自分がパイを焼いて売ることで、未来のオリンピアンが一人でも多く育ってほしい」という純粋な情熱こそが、店頭に立ち続ける船木氏の真のモチベーションです。