本作を語る上で避けて通れない最大の論点であり、多くの視聴者が衝撃を受けたのが映画『架空OL日記』の結末の真相です。映画版は終盤に至るまで、更衣室のハロゲンヒーターの故障、上司へのささやかな悪口、仕事帰りのラーメンやカフェでの雑談など、どこまでも心地よい「変化のない日常」が描かれます。しかし、その穏やかな均衡は、物語のラスト数分で鮮やかに解体されます。
ネタバレを含めてその構造を紐解くと、物語の最後、月曜日の朝にいつも通り銀行の支店へと出勤してくる同僚たちの姿が映し出されます。真紀ちゃん(夏帆)、小峰様(臼田あさ美)、サエちゃん(佐藤玲)、酒木さん(山田真歩)。彼女たちはいつものように制服に着替え、他愛のない世間話を展開しています。しかし、そこに主人公である「私(升野)」の姿はありません。ロッカーの名前も、デスクの存在も、彼女たちの会話の中からも、最初から「私」など存在しなかったかのように消え去っているのです。
そしてカメラは、銀行の更衣室から殺風景な自室へと切り替わります。そこにいるのは、OLの制服を脱ぎ捨てた素の男性――パソコンのモニターの青白い光に照らされながら、無心でキーボードを叩いてブログを更新している「創作者としてのバカリズム(升野英知)」の現実の背中でした。
映画『架空OL日記』ラストシーンの多層的な考察
このラストシーンに対し、SNSや映画レビューでは「鳥肌が立った」「愛おしい世界から突然放り出されたような喪失感に襲われた」という声が相次ぎました。この結末には、バカリズム脚本が周到に仕掛けた心理的ギミックが潜んでいます。
観客は上映時間中、バカリズムが成人男性であるという強烈な違和感をわずか数分で忘れ去り、彼女たちの輪の中に完全に感情移入させられます。「ずっとこの時間が続いてほしい」と観客が無意識に日常への愛着を深めた瞬間、作者自身の手によって「これは独身男が自室で妄想した架空の産物に過ぎない」という冷徹な事実を突きつけられるのです。この虚構と現実のコントラストこそが、単なるコメディ映画の枠を超え、本作を一種の「哀愁を帯びたメタフィクションの傑作」へと昇華させています。