現代は、スマホを開けばYouTubeで無限のエンタメ動画が流れ、Netflixで世界中のドラマを消費できる娯楽過多の時代だ。デジタルコンテンツが若者の時間を奪う中、なぜわざわざ宗教的な修養や対話の場に身を置く若者が存在するのだろうか。宗教学の最新の研究でも、この現象は非常に興味深いテーマとして取り上げられている。
過剰な情報とSNSによる常時接続に疲弊した若者層にとって、静寂の中で自分自身と向き合う「歓喜世界」の思想や霊能体験は、デジタルデトックスに近い癒やしをもたらしている。動画コンテンツのような受動的な刺激ではなく、主体的にココロを整えるプロセスが、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視する現代っ子のニーズと意外な形で合致しているのだ。