1957年、日本電波塔株式会社(現・株式会社TOKYO TOWER)を立ち上げた実業家・前田久吉の号令は極めて明快だった。「パリのエッフェル塔を凌ぐ、世界一の塔を東京のど真ん中に建てる」。その途方もない構想を現実に落とし込んだのが、「耐震構造の父」と称された建築家・内藤多仲である。まだコンピュータ解析など存在しない時代。内藤は計算尺と膨大な手計算だけを武器に、最大風速90メートル、関東大震災級の大地震にもびくともしない構造設計を仕上げた。
現場を支えたのは、日本全国から集められた鳶職人たちの命懸けの技工だ。高所恐怖症という言葉を嘲笑うかのように、命綱一本で吹きさらしの鉄骨を跳び交い、灼熱のリベットを寸分の狂いもなく打ち込んでいく。さらに、塔の上部を構成する鉄材の一部には、朝鮮戦争で使われた米軍戦車のスクラップが再利用された。兵器が平和の通信塔へと生まれ変わる――このエピソードは、日本の都市建築・構造工学史における象徴的な転換点として語り継がれている。