歴史の皮肉というべきか、七本槍の中で「最も出世しなかった男」の家系が、結果として最も長く領地を守り抜くことになった。
加藤清正の熊本藩や福島正則の広島藩が幕府の手によって改易・減封の憂き目に遭うなか、長泰が開いた大和国十市郡田原本の所領は、徳川幕府のもとで一度も改易されることなく受け継がれた。交代寄合という旗本の最高格として独自の自治を維持し、幕末維新期には石高直しによって正式に「田原本藩」として立藩。明治維新まで大名格としてその家名を存続させたのだ。
派手に領土を拡大するより、手に入れた地盤を堅実に維持し、領民と良好な関係を築く。現代の組織論にも通じる持続可能な生存戦略を、平野長泰は400年前に実践していた。