黒田選手の名を一躍全国区に押し上げたのは、第100回大会以降の箱根駅伝・花の2区で見せた異次元の快走でした。各校のエースが集う最重要区間において、険しい権太坂や戸塚の壁をものともせず、区間賞を獲得する走りは学生長距離界に強烈な衝撃を与えました。
特筆すべきは、ロードの単独走で見せるタフネスと、トラックの3000m障害(3000mSC)で発揮される卓越した敏捷性の両立です。水濠や障害物を跳び越える技術、着地からの急加速、ラストスパートのキレは、パリ五輪代表争いを通じて世界トップクラスと対峙した経験によってさらに研ぎ澄まされました。
「駅伝用の長距離ランナー」と「世界レベルの障害走スペシャリスト」という二刀流を高次元で成立させている点こそが、実業団各社が破格の条件を用意してでも獲得を目指す最大の理由です。