蝦夷という文字を目にした際、まず生じる疑問が「えみし」と読むのか、それとも「えぞ」と読むのかという点です。歴史学において、この二つの呼称は単なる読みの揺らぎではなく、時代区分と政治的対象を厳密に切り分ける重要なメルクマールとして扱われます。
古代の飛鳥・奈良・平安時代において、東北地方を中心とする本州北部に居住し、ヤマト王権の律令体制に従わなかった人々は「えみし(毛人・蝦夷)」と呼ばれました。一方で、平安時代末期から鎌倉時代以降、武士団が奥州を掌握し、呼称の主たる対象が津軽海峡を越えた北海道や千島列島の人々へと移るにつれて、音韻変化を起こして「えぞ(蝦夷)」と定着していきました。
さらに見逃せないのは、ヤマト王権と蝦夷の関係が最初から決定的な敵対関係にあったわけではないという点です。『日本書紀』景行天皇条には「東の夷の中に毛人あり、男女生を混じ、父子無別、冬は穴に宿り、夏は樔(す)に棲む」といった極端な記述が見られますが、これは中国の華夷思想をそのまま借用し、自らを文明、辺境を野蛮と規定するための政治的プロパガンダに過ぎません。
実態としての古代エミシは、粗野な蛮族などではなく、寒冷地に適応した独自の集落を営み、優れた鉄器加工と馬匹の生産技術、そして卓越した戦闘力を誇る自立した人々でした。中央集権を進める王権側が、自らの支配領域の外側に位置する人々を「教化すべき異者」と定義したことこそが、蝦夷言説の出発点です。