鳥井のもとを去った政孝が向かったのは、スコットランドのハイランド地方に酷似した気候風土を持つ北海道の余市だった。冷涼な空気、豊かなピート、澄んだ伏流水。ウイスキー造りに理想的な環境を見出した政孝は、1934年に大日本果汁を設立する。これが後のニッカウヰスキーである。
ウイスキーは原酒が熟成するまで何年も出荷できず、一銭の利益も生まない。蒸溜所を維持するため、政孝は余市特産のリンゴを使ったリンゴジュースやアップルワインを製造して糊口をしのいだ。妥協を許さない政孝は、本場でも姿を消しつつあった石炭直火蒸溜にこだわり続ける。立ちのぼる煙と轟く炎のなかで、政孝の理想とする力強いモルト原酒が静かに育まれていった。