脱退劇の背景として、長年にわたり週刊誌やネット掲示板で囁かれてきたのが「桑田佳祐との確執・不仲説」です。青山学院大学の学園祭バンドからスタートした2人の関係は、単なるビジネスパートナーを超えた濃密な青春の共有者でした。では、不仲説の真実はどこにあったのでしょうか。
当時の音楽業界の証言や音楽関係誌のインタビューを再検証すると、2人の間に存在したのは感情的な対立というよりも、「巨大な桑田佳祐のクリエイティブ主導権」と「職人ギタリストとしてのアイデンティティ」の摩擦でした。80年代後半以降、小林武史との共同プロデュース体制などを経て、サザンの楽曲制作は桑田の緻密なアレンジと打ち込みサウンドが融合した高度なポップスへと進化を遂げます。
その制作現場において、ギタリストがアドリブや直感でフレーズを差し挟む余地は次第に狭まり、桑田の頭の中にある設計図を完璧に具現化する緻密なプレイスタイルが求められるようになりました。大森隆志が敬愛するアメリカン・サザンロックやブルースといった骨太なルーツミュージックと、時代の最先端を行くメガヒットポップスの制作手法との間にある種の乖離が生じたことは否定できません。長年連れ添ったバンドだからこそ、互いの音楽的尊厳を守るために「距離を置く」という選択に至ったというのが、現場証言から浮かび上がる真相です。