2000年シドニーオリンピックの柔道男子100キロ超級決勝。篠原信一の前に立ちはだかったのは、フランスの英雄ダビド・ドゥイエだった。試合開始から間もなく、ドゥイエが放った強烈な内股を、篠原は見事な体さばきで宙に浮かせ、畳へと叩きつけた。完璧な一本。
誰もがそう確信した刹那、副審の一人は篠原の一本を支持したが、主審と残る副審はドゥイエの有効を宣告した。会場は騒然となり、日本陣営は猛抗議を展開。しかし裁定は覆らなかった。国際オリンピック委員会や国際柔道連盟を巻き込む大論争に発展したこの一戦は、のちに柔道界へビデオ判定(ケアシステム)が導入される決定的な契機となる。
だが、当事者である篠原が試合直後の会見で発した言葉は、日本中を驚嘆させた。「自分が弱かったから負けた。それだけです」。審判やルールを責めず、すべてを己の力不足として背負い込んだその態度は、日本武道の精神を体現したものとして賞賛された。だがその胸中には、誰にも明かせない凄まじい虚無感が渦巻いていた。